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2006年12月07日

ワールドカップの思い出、1998年大会

1998年フランス大会は、日本初出場の大会です。
監督の交替等もあり、
すんなりとは決まりませんでしたが、

イランとのジョホールバルとの戦いは忘れられない戦いとなりました。

ハラハラドキドキの連続、最後のシュートが決まらずに、何度天を仰いだことか。

岡野が何度シュートのタイミングで打たなかったことか。ヒデが何度いいスルーパスをだしても無駄になったことか。

ジョホールバルは第三国でしたが、完全にホーム状態でした。

最後の岡野のシュートが決まった瞬間、
スタジアムは歓喜の渦、ドーハの悲劇を乗り越え、やっと掴んだクオリファイリング。

日本全国が揺れた日でした。

思うにこの頃から日本の決定力のなさは顕著だったのですね。

本大会では直前にカズと北沢が落選したことは少し驚きました。

本大会では1勝もできずに終わりましたが、

大会自体はフランスのジダンの活躍もあり、盛り上がりのあった大会でした。

この大会のフランスはホームの理もありましたが、テクニックと早さ、強さを兼ね備えたいいチームでした。
対するブラジルは決勝でのロナウドの体調不良もありフランスに完敗しました。ブラジルのあんな負け方は初めて見ました。

日本vsジャマイカ戦の特典ハイライトです。
(you tubeからです)
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年12月04日

10時間目、ワールドカップの思い出、1994年アメリカ大会

1994年アメリカ大会は日本が9割5分決まりかけた出場権を逃した大会です。
いわゆるドーハの悲劇です。
翌年からジェーリーグ開幕を控え、日本はオランダ人のハンス・オフトに代表を任せました。
ラモス、カズ、北沢、松永、堀池、井原らのプレーヤーがいました。
アイコンタクト、ディシプリン等のキーワードが飛び交ったのでした。
予選は今はホームアンドアウェー方式がすっかり定着しましたが、当時はセントラル方式が一般的でした。
最大のライバル韓国にカズの得点で勝った時には選手全員が泣いていました。

今にして思えばあれが悪かったのではないでしょうか?
泣くのは早いのです。
イラクに勝って初めて大会にいけると思うべきでした。
韓国戦に全精力を注ぎ込まないと駄目だったのもわかります。
でも、駄目です。マラソン選手が41キロで立ち止まっては!

日本の実力がそこまでだったということだと思います。
ロスタイムの同点弾は明らかに戦術慣れしていない証拠です。
直接の原因は途中交替のT選手だったと記憶しています。
相手ゴールに攻め込み安易にシュートは放ったのです。
時間稼ぎをしていれば、タイムアップだったでしょう。
見ていた私は、この時程サッカー馬鹿は駄目だと思ったことはなかったです。

本大会はサッカー不毛の地のアメリカという地の開催、ヨーロッパとアメリカの時差の関係から、アメリカの真っ昼間にゲームが組まれていました。

そのせいか、選手全体のコンディション不良を招きました。
低調なゲームが多かったという記憶があります。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月29日

9時間目、ワールドカップの思い出、1990年大会

W杯1990年大会が僕の中では一番記憶に薄いです。

何故かなあと考えたのですが。

94年大会はドーハの悲劇があった大会です。後30秒で本大会に出れたのです。

86年大会はマラドーナが強烈でした。

その狭間にあったからだと思います。

大会はイタリアで行われ西ドイツが3度目の正直で優勝しました。

決勝ではアルゼンチンと戦いました。アルゼンチンはマラドーナの活躍でここまできましたが、マラドーナの活躍も決勝では果たせなかったのです。

印象に残った選手はイタリアのサルバトーレ・スキラッチです。得点王にもなりました。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | ワールドカップ

2006年11月28日

8時間目、ワールドカップの思い出、1986年大会

1986年メキシコ大会はアルゼンチンが優勝しました。
この大会のキーワードは「マラドーナ」。

マラドーナによるマラドーナのための大会と言っても
言いすぎではありません。
特にイングランド戦での相手キーパー迄かわした10人
抜きは今でも過去のワールドカップ特集では必ず放映されます。

当時のNHK山本アナウンサーの実況です。
「マラドーナ。。マーラドーナ。。。マーーラドーーナ!!」
文字ではうまく伝えられませんが、
いやー凄かったですよ、マラドーナは!
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 08:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月27日

7時間目、ワールドカップの思い出、1982年大会

1982年大会はイタリアが優勝しました。

この大会はイタリアのパオロ・ロッシが
活躍しました。

ロッシは前年、ある不正に関与したことで
リーグ戦出場停止になっていたのです。

決勝では、イタリアが西ドイツを3対1で破り、
3度目の優勝を遂げました。

この優勝でイタリアはブラジルと優勝回数で並び、
ジュール・リメ・トロフィーの永劫所有権を獲得した
のです。

得点王は、先ほど述べたイタリアのパオロ・ロッシで
した、(6得点を決めたました)

大会のMVPに贈られるアディダスゴールデンボール賞
にもパオロ・ロッシが選ばれました。





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posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 08:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月26日

6時間目、ワールドカップの思い出、1978年アルゼンチン大会

1978年のアルゼンチン大会は
地元アルゼンチンが優勝しました。
アルゼンチンのFWマリオ・ケンペスの
鮮烈な印象を残したものでした。

実際に私の記憶もケンペスしか残っていません。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 08:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月25日

5時間目、ワールドカップの思い出、1974年大会

1974年の西ドイツ大会は2個の驚きがあった大会でした。

その一つは、初めて決勝戦が生中継されたこと。

二つ目はオランダの登場です。

それまでの戦術はディフェンス、オフェンスを機能分化
させていたものでした。
ところが、オランダのオレンジ軍団はクライフという当代
随一の名選手を中心に全員攻撃をその戦術とした

『トータルフットボール』を披露したのです。

オランダの登場は鮮烈でした。動きは早い、個々のプレーヤー
のスキルも高い。クライフがボールをキープすると誰も奪えない
状態でした。



クライフターンが大流行りしたものでした。


当時クライフの背番号14番が人気の背番号でしたよ。
懐かしいですよ。
私も14番でした。


決勝は地元西ドイツとオランダの間で争われました。
この試合ははじまりが強烈な印象を残しました。


オランダボールで始まった後西ドイツに一切取られる
ことなくゴール前に、西ドイツはファウルで止めるし
かなかったのです。

難なく、PKを得て、1点を先取したオランダが何点
取るのかと思ったものです。

でもこの早すぎる一点がその後のオランダの動きを悪
くしたのです。


結局西ドイツが2対1でオランダを破りました。

私のワールドカップの記憶の中でベスト3に入る大会
だったと思います。


オランダはその後のアルゼンチン大会でも決勝まで
進みましたが、まだ優勝はありません。


ユーロ選手権ではマルコ・ファンバステン(現オランダ代表監督)
ルート・フリット、フランク・ライカールト(バロセロナ監督、
今日本に来ていますね)、を擁して優勝しています。

が、ワールドカップでは下馬評では常に優勝候補に挙がります。
でも、大会では活躍できずにいますね。

ちょっと残念です。 サッカーだよ、サッカー!you tube video TOPへ
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月24日

4時間目、ワールドカップの思い出

1970年のメキシコワールドカップは
ライブでは見ていません。
(生中継はおそらくなかったと思います)

前回申し上げた、三菱ダイヤモンドサッカーで
毎週見ました。

45分が一回ですから、一試合見るのに、2週間かかって
いました。

今では隔世の感がありますね。

今ではスカパー、wowow、BS放送で毎日のように
海外のサッカー中継がありますからね。

でも、待ちわびて、待ちわびて見る番組に子供心に
すげー感動して見ていました。

一試合が終わる時間が早くて早くて仕方がなかったですね

当時は当然ビデオはありませんから。

生でしっかり目に焼き付けるということでした。

1970年は、キングペレの最後の大会でした。
今までの2大会では今ひとつ活躍できなかったペレが
大活躍した大会でした。
ほかに、ジャイルジーニョ、トスタン、リベリーノ等の
名選手もいました。

決勝はブラジル―イタリアでした。
4対1でブルジルが圧倒しました。

まさにブルジル、ペレの大会でした。

posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 02:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ

2006年11月23日

3時間目、ワールドカップの歴史

サッカーといえば、ワールドカップですよね。

ワールドカップ、今でこそ、日本で全てのゲームを
観戦できますよね。

でも、私が少年の頃は、放送はありませんでした。
唯一の放送が、当時の東京12チャンネル(今のテレビ東京)
が週一回三菱ダイヤモンドサッカーという45分番組で
1970年のメキシコ大会を放送していました。

この番組を知っている方はかなりのサッカー通ですよ。
国際試合を見れるのは、この番組のみでしたから。

当時の、岡野俊一郎さんと金子勝彦アナウンサーの
名解説、名実況は今でも語り草ですから。


ということで、サッカーのワールドカップの歴史を少し
お勉強しましょうね。

ワールドカップは、1930年にFIFAの会長だった
ジュールリメ(フランス人)という人が国別対抗の世界一
決定戦をやろうと発案して始まったものです。

このジュールリメにちなんで、ワールドカップのトホフィーは
ジュールリメ杯とも言われていました。

当時はオリンピックにサッカーの種目はあったのですが、
アマチュアしか参加資格がありませんでした。
プロを含めた代表チームで本当の世界一を決めようという
ことになったのです。

大会は4年に一度開催され、第一回大会は1930年に
ウルグアイで行われました。第1回大会の参加チームは
たった13ヶ国でしたが、2002年の日韓W杯では197
の国と地域が参加するというマンモス大会になっています。ド
イツW杯は第18回大会になります。

私が見たことのある大会を言いましょうか。

1966年 ロンドン     イングランド
1970年 メキシコ     ブラジル
1974年 西ドイツ     西ドイツ
1978年 アルゼンチン   アルゼンチン
1982年 スペイン     イタリア
1986年 メキシコ     アルゼンチン
1990年 イタリア     西ドイツ
1994年 アメリカ     ブラジル
1998年 フランス     フランス
2002年 日本・韓国    ブラジル
2006年 ドイツ      イタリア

ですね。

全ての大会において、名選手が出ており、
思い出もあります。

それを明日以降書きていきますね。 サッカーだよ、サッカー!you tube video TOPへ
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 02:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ワールドカップ
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