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2007年01月19日

久保竜彦選手のゴール集!

久保竜彦選手と言えば、

ドラゴン久保といして超有名ですね。

昨年は超残念でした。不調にあえぎ、ドイツワールドカップ
に出られませんでした。

久保竜彦選手の好調時は、それはもう日本人離れした
身体能力で打点の高いヘディング、驚異的な角度から
放たれるシュート。

2004年のチェコ代表とのアウェー戦のゴールは今でも
脳裏に焼きついています。

日本チェコ戦の久保のゴールはこちらへ

日本アイスランド戦の久保の2ゴールはこちらへ

このゴールを見て、久保が代表に選ばれずに、ドイツを逃した
なんて、もったいないなあーと思われると思います。

あー、、ドイツワールドカップのオーストラリア戦、クロアチア戦の

●沢選手に代わりに、久保がいたらなあー。

なんて思ったのは僕だけでしょうか?






posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 00:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 名選手名鑑

2006年12月03日

釜本邦茂

釜本邦茂。
ちょっと古いかな?
今は日本サッカー協会の会長です。
ガンバの初代監督と言ったほうがわかりやすいですか?
僕らの少年時代はヒーローでした。
現在の中田、中村は釜本の足元にも及ばないでしょう。
釜本は京都にある山城高校で恩師、森貞男先生に出会います。
中学校までは野球のほうがやりたかった釜本少年は森先生との出会いで
サッカー一辺倒になります。
釜本の活躍で山城高校は全国大会にも出場しました。
早稲田に進んだ釜本はさらに進化しました。

女性のウエストよりも太い太ももから放たれる右45度のシュートは確実に敵ゴールネットを揺らしたのでした。

卒業後釜本の進んだ道は当時弱小チームのヤンマーディーゼルという日本リーグ所属のチームでした。

ここでも、鬼武監督(現Jリーグチェアマン)に出会いました。

当時は三菱重工、東洋工業、日本鋼管、八幡製鉄、名古屋相互銀行、古河電工という企業チームがありました。
この中で、ヤンマーと三菱重工がしのぎを削ることが多かったです。

これらの企業チームは今のJリーグの浦和レッズ、ジェフユナイテッド、セレッソ大阪の母体になりました。
釜本の全盛期は1968年のメキシコオリンピックです。
アジアで初めて3位銅メダルを獲得し、自身も得点王に輝いています。

オリンピック後には海外から沢山のオファーがきました。
当時海外移籍など考えられないことでした。
でも釜本はウイルス性肝炎による体調の悪さもあり海外には行きませんでした。
その後日本がオリンピックから遠ざかったことも釜本にはいい影響を及ぼさなかったと思います。

釜本の引退試合には、あの神様ペレまで駆け付けたことからも彼の偉大さはわかっていただけると思います。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 22:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 名選手名鑑

2006年12月01日

マラドーナ

ディエゴ・マラドーナと聞いて知らないサッカー関係者はいないでしょう。

こんな凄いプレーヤーだよ(youtube)

マラドーナ程サポーター、観客を熱狂させたプレーヤーはいないでしょう。

また一方で僕達を失望させたプレーヤーもいないでしょう。

私は若きマラドーナが日本でアルゼンチン代表として参加したワールドユースをテレビで見ていました。

その頃から凄い選手でした。同年代の中では抜きんでていました。身体は大きくはなかったですが、ボディーバランスは最高、足技も表現が出来ない程凄かったです。

当時の日本にはプロもなく、世界は本当に凄い奴がいるなあーと思ったことを覚えています。

マラドーナの全盛期は、ワールドカップの思い出にも書きましたが、1986年のメキシコW杯でした。

神の手ゴール、伝説の10人抜き

これはもう後台末裔まで語り継がれることでしょう。
でも全盛期は長くは続きませんでした。

それはいくつか理由があったと言われています。

一つはマラドーナの活躍した時代

もう一つはマラドーナの体質にあったのです。

当時はまだ科学的なトレーニングがあまり普及しておらず、筋肉を鍛えればそれでいいと、いわゆるクールダウンの必要性はあまり重きを置かれていませんでした。

現在は鍛えた筋肉を労る必要があること、小学生でも知っています。

マラドーナはそれをやっていませんでした。

それでも30才を超えても一流プレーヤーであったものも多数います。ベッケンバウアーがそうであったように。

マラドーナは太りやすい体質だったのです。まわりがチヤホヤしますから、貧困な家庭に育ったマラドーナをどんなに有頂天にさせたか想像に堅くないないでしょう。

シーズンオフにはろくにトレーニングもせずに食べました。相当オーバーしたウェイトをシーズン前に落とします。

トレーニングで落としているうちはまだいいのです。
年々落ちにくくなる体重をダイエットに近い形で落としたのでしょう。
同時に筋肉も落ちたのでしょう。

自分が当然出来ると思っていたプレーが出来なくなります。焦りが出てきて当然ですよね。

怪我も増えました。
周囲の期待に応えられないいらだちもあったのでしょう。

それが薬に走った理由ではなあかなと私は思います。
ただ私がいいたいのは寿命は短かったが、プレーヤーとしてどの名選手よりも輝いていたのは

間違いなくマラドーナです。
最近は地元テレビでレギュラー番組をもってお茶の間に笑いをもたらして、相変わらず人気者なのです。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 20:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 名選手名鑑

2006年11月30日

パオロ・ロッシ

1982年イタリア大会で大活躍したプレーヤーです。

順調な選手生活を送っていたのですが、
1979-80年ペルージャ時代に八百長疑惑がかかり、裁定の結果2年間の出場停止処分を受けてしいました。

1982年スペインW杯直前に出場停止が解け代表に復帰しました。

1次リーグこそ無得点に終わりましたが、

2次リーグでは大活躍、黄金のカルテットを擁する優勝候補ブラジル戦でハットトリックを決め見事復活しました。

続く準決勝ポーランド戦でも2得点、
決勝西ドイツ戦でも先制点を挙げ1938年以来44年振りとなるワールドカップ優勝に大きく貢献しました。

自身も6得点を挙げ得点王となりました。

なお、「史上最強」と言われたセレソンが敗れたことにブラジル全土は非常に大きなショックを受けており、いまだに「パオロ・ロッシ」の名はブラジルでは禁句だそうです。

怪我により29歳で引退している。引退後は建設関係の仕事を営み、またOBによるオールスターマッチにもたびたび出場し、姿を見せている。華奢な体型は当時と全く変わらない。
posted by たけ@永遠のサッカー小僧 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 名選手名鑑
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